
〜肺がん患者さんと向き合うということ〜 編集 WJTOG広報部 (2004.9.15発行)
「がん患者になってわかったこと」
御注意
はじめに
この記録は平成16年5月2日に大阪市のMIDシアターにおいてNPO西日本胸部腫瘍臨床研究機構が朝日新聞社と共催した市民公開講座「朝日肺がんフォーラム-〜肺がん患者さんと向き合うということ〜」の討議録です.内容は平成16年5月2日の時点で最新のことが述べられていますが,その後新たな知見が加わり状況が変わっている場合もあります.統計学的な数字や根拠は複数にわたるものがあり,その中から講演者が適切と判断した報告や論文を引用しており,他の報告を一部異なる場合もあります.また限られた情報と時間内での講演と質疑応答であり,回答者の答えが十分に回答者の意を尽くしてわかりやすく述べられていないこともあります.より詳細なお問い合わせなどは、現在受診されている担当医の先生にお聞きくださることをお勧めします.
テーマ:〜肺がん患者さんと向き合うということ〜
「がん患者になってわかったこと」
元NHKアナウンサー,エッセイスト,産業カウンセラー 絵門ゆう子
ご紹介ありがとうございました.絵門ゆう子です.こんにちは.今朝は,千葉から東京にでて,新幹線で大阪まで大きなスーツケースを持って出てきました.手足の骨以外は,全身のあちこちの骨に転移しておりまして,特に骨転移によって第2,第3,第4頚椎が圧迫骨折してしまったため,放射線治療で固めてあります.そのため,外出時は首の骨がつぶれないようにカラーをはめていますが,そのカラーもこうしてはずしてしまいますと,ごらんのように元気です.これが「全身転移のあるがん患者の姿だ」と見ていただくことだけでも意義のあることではないかと思います.こうして張り切って毎日を送っています.来週は九州にお話に行きますし,来月は北海道に講演に行くといった調子で頑張っています.
さて,私は乳がんです.しかも、全身に転移して,肺にも肝臓にもがんはあり,胸水をためて呼吸困難になったこともあります.このとき撮った胸のレントゲンは,肺がどうのこうのという状態ではなくて,肺が「真っ白」という状態でした.これが全部がんですかって先生に聞いたら,「いや,水です」とお答えになって,水の他はどうなっているんですかと聞いたら「水を抜いたあとは,がんでいっぱいでしょう」という返事でした.腹部のCTをとると,肝臓には5カ所も転移があり,骨シンチという検査をすると,転移があると黒く写ってくるのですが,私の場合は全身の骨に黒い陰のある骸骨状態でした.腫瘍マーカーを調べたら,乳がんの場合はCA15-3というのを調べるのですが,去年の時点で2000を越えまして,その時点から,タキソールという抗がん剤を始めました.週に3回病院に通って抗がん剤の点滴を受けています.よく「抗がん剤の点滴は大変ですね」と言われます.しかし,先程のキャロラインさんの講演でも,乳がんは”成熟したがんである”というお話がありましたが,患者の方も”成熟して”きて,だんだん開き直ってきました.同じように抗がん剤の点滴を受けている方と一緒になって,点滴しながら「今からレストランに行こう」,なんて言って,レストランで明るく食事をしながら抗がん剤治療を受けています.まわりから「点滴軍団」と呼ばれながらも,抗がん剤の点滴も楽しい食事の時間に変えてしまって過ごしています.中には脳転移のある方もいらっしゃいます.そのときは,全脳照射(脳転移に対して,放射線治療として,脳全体に放射線を照射することで,複数または広範な脳転移に対して最も広く一般的に行われる治療)すればいいじゃない,なんて明るく言って治療を受け,また戻ってきて一緒に点滴治療を受ける,そんな仲間に囲まれて治療を受けています.特に患者会も乳がんは非常に盛んなので,会がある時などは,「全身に転移があって骨が折れている絵門さんがこんなに元気なんだから,あなたは大丈夫ですよ」と,よく例に挙げてもらっています.どんなことがあっても,がんという病気にも希望の光というものがあって欲しいし,そう思っていていいと考えます.それで最終的にだめなケースがあっても,それでいいんじゃないかなってことを伝えたくて,あちらこちらに行脚しています.ただ,私は,肺がんではないので,今朝,Wさんという肺がん患者の方に電話しました.12年前に肺がんを患って,手術もできない状態で,放射線治療,抗がん剤,苦しい温熱療法をして,退院のとき,お医者さんから家族に「余命は,次の年を越すのは難しい」と言われたそうです.でも,常に希望を持って,前向きに取り組み,もちろん西洋医学の治療も受けながら,自分なりに色々組み合わせた健康法も考え,前向きに生きておられます.がんになられてから船舶1級技師やアマチュア無線や,船舶3級無線技師の免許を取ったりと,前向きにがんと闘って・・・というか,がんのことは半分忘れつつ,楽しく生活を送っておられます.そういうWさんは,私にとっての希望の光です.何かで落ち込んだりしたときにはWさんのことを思い出して,気をとりなおしています.
さあ,皆さん,がんの人にどのようなイメージをお持ちでしょうか.がんの人を誰か一人思い描いてみてください.その中で亡くなった方のことを思い浮かべた方もいらっしゃると思います.それは今日から止めましょう.亡くなった方は,がんで亡くなったと思わなければいいんです.大切な人ならば,寿命を全うして亡くなられたんだと,今,その人は天国から応援団になっているんだと思いましょう.私は,自分の母について,そう思うよう切り替えました.
もう一度,がんの人をイメージしてください.がんを持っていて,何年も,何十年も元気な人のことを思い浮かべられますか?.絵門ゆう子を思い浮かべていてはだめですよ.私はまだ3年半しかキャリアがありませんから.きっと誰かいらっしゃると思うんです.もし元気ながん患者が一人も頭に浮かばないないなら,皆さんの情報の集め方が大きく間違っています.今はそんな時代じゃない.がんは,治さなくてもいいんです,共存していれば.共存しながら何十年も元気に生きていけるのです.そういう人をすぐに思い浮かべられなかったら,情報がとっても歪んでいたと思ってください.そして,実は私がかつて,その一人だったのです.母ががんになったとき,私は「悪いものはすべて取り除いてしまえばいいんだ,そして早期発見できるように細かくチェックしていればいいんだ」と思っていました.これは大きな間違いでした.抗がん剤もきちっと飲んで,先生の言うとおりやっていればいいんだ,と思っていました.これも間違いでした.”何々の権威”といわれるお医者様にお願いしておけば,ちゃーんと治してもらえるんだと思っていました.これも間違いでした.がんは闘う相手だと思っていましたし,こんながんは無くしてしまえばいいんだと思っていました.これも間違いでした.健康な人だって,がん細胞を持っているひとは大勢いるんです.母という,自分にとって最も大切な家族をがん患者として持ったときの私の”無知ぶり”.母も同様でした.そして先生の言われるままに治療をしてきました.そして4年目にはたと気がつきました.再発転移,再発転移と手術し,手術してから抗がん剤治療を受けるたびにどんどん弱って帰ってくる.どんどん生きる気力が無くなってきて,性格も変わってくる.おかしいんじゃないと思い出しました.ただし,これは15年前に発病し,10年前に亡くたった人の話ですので,さらに医学が進歩した今とは違いますから,そこだけは注意してください.そして母と私は抗がん剤治療を断って,半年ほど元気な状態が続いていました.しかし,その後,あれほど拒否していた抗がん剤をお医者さんで投与されてから1ヶ月で母は亡くなったのです.それで,私のとって西洋医学は悪役以外の何者でもない存在になってしまったのです.後からホスピスの存在を知って,あのとき母とともに死というものを受け入れればよかったなあと思いました.母には転移したときから告知しないでいたことを後悔し,むしろあとどのくらい生きられるのかということを言ってあげればよかったと思いました.それは家族である私が思ったことです.そして,これも,私ががんになったことで,大きな間違いであったことに気がついたのです.まず,「死を受け入れて安らかに」なんてことは,あり得ません.
私は,がんになって,6リットルの水が貯まってしまって,ぎりぎりの窒息寸前の呼吸困難の状態になって,聖路加国際病院に行ったときも,先生に「それでも治療したくない」とわめいていたんですね.母のことを見てきて,治療したらおしまいだと思っていたからです.「それならホスピスの方がいいかもしれませんね」と言われたら,それこそどん底に落ちた気分でした.人は,死ぬ1秒前まで,治っていくんだ,よくなるんだという可能性を消してはいけないんだと気がついたんです.でも,母には,「死を受け入れる方法もあったのに」と,不遜にも思ったんですね.これも母を通して気がついた間違いであったし,告知という言葉もおかしいと気付いたんです.なぜ,がんだけ告知と言わなければいけないのでしょうか.腎臓病や糖尿病に告知という言葉はないのに,なぜがんだけ告知なんでしょうか,それこそ差別ではないでしょうか.なぜ,がんは「宣告」なんでしょうか,死刑宣告でもあるまいし,やめてちょうだい!ってよく言うんです.「がんになった」でいいんじゃないでしょうか.それでがんになったということは,絶対に本人が知らなきゃいけないことです!.がんの進行状況も本人が知らなきゃいけないことです!.でも,命について予測してもらう必要はまるでありません!.それは,私たちが明日交通事故に遭うかもしれないという予測ができないように,がん患者にとっても予測はあたらないんです.こんな私でも,がんで死なない可能性は十分にある,違う原因で死ぬ可能性がある,こういったことに後で気がつきました.
そんな私は,がんを米粒太で見つけ,病院にかかったとき,乳がんとは診断されず,放っておくことになってしまったんです.乳がんだと診断されたときには既にIII期の状態でリンパ節にも転移してしまっていました.こんなことや,亡き母の闘病生活を通して西洋医学が信じられず,”西洋医学をやらない”風の中途半端な病院へ行ってしまったのです.抗がん剤治療をしても赤ちゃんを授かる可能性だってあるのに,そこの病院では,妊娠できなくなると言われ,可能性を知らせてもらえなかったために,またまた変な方向へ行ってしまったんですね.医師から,放っておくと,肺や肝臓に転移して,その後骨に転移すると痛いんだと説明を受けて,余計に信じられなくなり「主治医は持たない,病院へは行かない,行ったらおしまい」と民間療法や自然食品に救いを求めました.その結果,首の骨に転移し,どんどん痛みが増し,1年2カ月の間にがんが全身に転移し,肺に6リットルも胸水をためて聖路加国際病院の中村清吾先生の診察を受けました.「もうダメだ」と思っている私に,先生は「ダメなんてことないよ,我慢している必要はないよ」と言ってくれました.今は抗がん剤やカルシウムを骨に戻す薬の点滴で通院.サブリメントも自分の判断で取り入れています.患者は医師と相談しながら,自分で治療法を選んでいくことが大切.個々のがんには個々の答えがあるからです.私の経験で分かったことは,がんと共存生活をすること,よい主治医をもつことです.副作用がつらいこともちゃんと教えてくれたり,ちゃんと目を見て話してくれたり,という先生を持つことが大切です.その先生が「ご臨終です」と言ってくれるならそれでいい,と思えるような人間関係を築けることだと思います.そして,がんの悪いイメージを皆で取り除きましょう.余命,告知,宣告,末期,そんな言葉はいらないと思います.私のことをドキュメントしたテレビ番組の企画書が「死の淵より」というタイトルをつけてきましたから,そういうのに「ふざけないで!!」って言える様な元気をもっていきたいと私は思っています.
がん治療というのは,ある意味で統合療法だと私なりに思います.通常の治療をするお医者様は非常に忙しいので,サプリメントとか健康食品の研究はなかなかできない.かといって,”何々が効いた”という体験談の本は,名前もわからないような人の体験談が並んでいるからだめなんですね.どこの病院で,どのような名前の薬の治療を受け,どこにあったがんが,どういう検査でどのようによくなったか,具体的に記載された本でないと役にたたないんです.私がやった治療が,他の人にもいいとは限らないんです.100人100様の治療法があるはずですから,それはちゃんとした主治医をもって,西洋医学の的確な治療法+統合医療,西洋医学から健康食品まで数ある情報の中で,バランスを保ちながら生きる道を探ること,こういうものがこれからはどんどん可能性を広げていってくれるはずです.早期発見・早期治療はもちろん大切です.でもこの点では私は落ちこぼれです.進行してもいい,転移していてもいい,再発してもいい,そんな状態でも生き残れる道はちゃんと自分で見つけられるはずだというところにスタンスを置いて生きていきたいなと思っています.
そして,周りの人が何をしたらいいかというと,「普通にしていればいい,深刻にならない」,もうその一言に尽きます.笑顔が無くなったときには,死への道を歩いてしまうと思うのです.どんなことがあっても,笑顔を作って,笑顔を作ろうとしていてくれた夫がいたり,身内がいたり,友人がいたりして,私があるのだと思います.自分が診察を受けて診察室を出たときに,診察室に入る前より確実に明るくなれる主治医,悪い情報をもらったときでも,言葉を選んで明るくなれる主治医を持つことです.そうでない先生を主治医にお持ちなら,いますぐ病院や先生を代わった方がいいと思います.私たち患者が医療を選んでいけていいはずなんですね.マスコミも考え方を変えて欲しい.ドラマや映画ではがん患者は必ず死ぬという設定や展開はやめて欲しいし,私は,がん患者が気持ちの上で辛く追い込まれるがん患者環境と闘っていくつもりです.
個人または病院で患者さんのために情報提供するために利用するのは構いませんが,書籍,雑誌等への蔵書の無断転用はご遠慮ください.
WJTOGではできるだけ多くの皆さんにがん情報を提供すべく,市民公開講座のビデオを作製し配布中です.
(平成16年9月1日)